世には様々なブラック企業があると思いますが、そのブラック企業に務めた人の壮絶なブラック企業の逸話を集めて見ました。
の5つのカテゴリー別に実際に働いている人のお話をご紹介します。
★この記事を読んでほしい人
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ブラック企業のありえない福利厚生編
(福利厚生編)罰金地獄のブラック企業
まず、福利厚生というものが全くと言っていいほどありませんでした。雇用保険にすら入っていない。社会保険や厚生年金もなし。給料も手渡しというところで税金対策をしているのではないだろうかという思いがすごく強かったことを覚えています。
また、遅刻するだけで罰金3000円もしくは3時間の残業。当日欠勤はいかなる理由があれど2万円の罰金というよくわからないルールがありました。
有給も3年以上勤めていましたが1日ももらえず、休みを取る場合は給料からの天引きもしくは週に1度の休みを振り替えて利用するしかなく、インフルエンザで休んだ時は2万円×8日分の16万円の減給がありこのままここで働いていても何もないと思い、転職を決意しました。
(福利厚生編)給料振込みの手数料をケチる
その会社は、入社した当時から「ん?これ大丈夫なのかな?」と思うことが多々ありました。入社前に聞いていた条件と内容が違うことがたくさんあったのです。
まず、入社1カ月めの給料日のことでした。入社前は、給料は銀行口座に振り込みとのことで、口座も教えていました。しかしその日、業務終了後、「はい、コレ今月の給料ね」と、なんと手渡しで給料を渡されました。私がなぜ手渡しなのか尋ねると、振り込みだと手数料とかかかるからね、と言われました。手数料をケチって手渡しするのかと思ったのと、それならなぜ口座を聞いてきたのかと疑問に思い、そこからだんだん会社に対して不信感がつのるようになりました。
結局、数年後にその会社を退職したのですが、それまでの間、不信なところ、不満な部分はたくさん感じていました。残業は当たり前、という感じの会社でそれ自体はいいのですが、残業代はまったく出ない点、さらには無理な休日出勤、これも無給です。有給休暇なんてあってないようなものでしたし、とにかく忙しいし休みは少ないし給料は全然労働時間に見合っていない。結局体を壊してしまい、退職しました。
ブラック企業の驚愕な労働時間編
(労働時間編)1週間泊まり込みで休みも睡眠もほぼゼロ
基本給はそこまで悪くなかったのですが、労働時間と給料が全くあっていなかったです。
仕事内容は、テレビ番組の制作だったので、忙しいのは承知の上でした。が、1週間泊まり込みの生活、休みも取れない、睡眠もろくにとれない、という生活にしては安すぎました。裁量労働制という形態をとっていたため、何時間仕事をしようが残業代も休日出勤手当も一切出なかったので、いわゆるブラック企業(業界柄、めずらしいことではありませんが。。)でした。
転職する決め手となったのは、勤務時間が長すぎたことで婦人科疾患を発症してしまったことです。病院では徹夜で不規則な生活が原因と言われ、それが判明してからも仕事が多すぎてなかなか休めなかったので、自分の体を気遣って退職しました。
(労働時間編)土日出勤や徹夜続きで40日間の連勤。
私は大学を卒業して、IT業界に入りました。新入社員の頃は、教えてもらいながら仕事をしており、2年目からはプロジェクトの一員として仕事をしておりました。私の主な仕事は仕様書に沿ったプログラムを作成するプログラマーで、仕事が終わらない日は夜遅くまで残業する事が多かったです。ただ、忙しい業務でしたが、ソースがリリースされてプロジェクトが終わった時は達成感がありました。
しかし、達成感はあるものの、こういった働き方をするIT業界は合わないと既に感じていたのですが、直ぐに別のプロジェクトに配属されました。
そのプロジェクトは応援という形で入り、先輩が体調不良で離脱し、私がメインで行う事になりました。それからは、毎日深夜まで残業が続き、徹夜する事もありました。土日も出勤で40日間休みが全くなかったです。上司に仕事が終わったら休んで良いと言われましたが、もう身体的にも精神的にも限界にきており、この会社の上司たちにはついていけないと分かりました。色々なタイミング等もあり、このプロジェクトが終わった後、次の仕事は決まっていませんでしたが、精神的にキツかったので退職しました。
(労働時間編)1ヶ月に休みは1日。意地悪の絶えない壮絶な職場
シフト制だったので、時間を入れてもらいたく思い、他の支店に異動させて頂いたけれど、その職場の人達とあまりに連携がとれず、精神的に追い込まれてしまいました。また、女性が多い職場であったことからやっかみなどもあり、上司から扱いが良いほど意地悪をされることが多かったです。
具体的には「連絡ノートで悪口を書かれる」「シフト交代の時に重なる人同士が他の人に対して悪く言うのも目の当たりにしてしまう」そして「本人の前でも辛辣な言い方をして傷つける」傍で、見ている私も辛く、何度も声かけしたが、結局多くの新人さんが精神的に辛くてやめてしまいました。その分を私たちがフォロー態勢で時間通りの帰宅が難しくなりますが、残業手当は出ません。それどころか「いつまでも電気をつけていた店がある」と、会議の席で専務から一喝されることもしばしば。
接客数が多いと、どうしても裏での作業が進まないでセキュリティーがかかってしまうことがあるので、休日でも朝一番に会社に行って残りの作業をするなど、理不尽な働き方を強いられました。
結果、31日中の30日を出勤していました。
ブラック企業の最悪な上司編
(最悪な上司編)自社ソフト開発をたった一人でやらせる指示する社長
私の部署は開発部門で、自社ソフトの開発、サポートを行っている部署を任された部長職をやっておりました。私の部署ではソフト開発を行ってはきましたが、自社ソフトの販売実績が思わしくなく売れるものを作るように社長から言われました。
ただ現状、開発チームは3人で現在の自社ソフトのメンテナンス及びユーザーのサポートを行うのに精一杯の状態でした。そのため、現場の状況を社長に訴えたのですが理解されず、結局は新しいソフトを開発する羽目になりました。しかもたった一人で。
新しいソフトの案、設計、作成を全て一人で行うことは開発者であれば無謀だと言わざるを得ません。それを訴えても理解できない社長や上層部は「何故できない」という言葉のみでした。新しいソフト案を提案するためのプレゼンを行っても、数日経てば忘れてしまう上層部。本気で自社ソフトに取り組みたいのか不明になってきました。
何故自分はこんなにも頑張っているのに、罵倒されなければならないのだろう?そう思い始めたのがきっかけです。いくら一人では、この人数ではできません。と訴えても人員を増やすわけでもなく「作れ」の一言。出した案にはその時はなんの意見も出さないのに、デモ版を見せた段階で罵倒だらけ。私はこの会社にいる存在意義を失いました。
(最悪な上司編)将来の社長候補が上司。気分で決裁を行い仕事が回らなくなる。
ある会社の企画部門に配属されていました。そこで私は企画全体の統括的なポジションを与えられており、上司からも権限を与えられ、自由に企画を進めることができました。しかし、上司が変わってからは、そうではなくなったのです。
新しい上司は、いわゆる「管理型」で、すべて自分が知っておかなければ気が済まないタイプの人でした。そのため「案」の段階からすべて彼に提出して決裁を受けなければならなくなったのです。それも、そのときの上司の気分次第で決裁がされたり、されなかったりで、要はその上司次第という状況になりました。その新上司はゆくゆくは会社のトップに就くべき人、というのが、社内の大方の見方でしたので、「この会社には未来は無い」と早々に見切りをつけました。
(最悪な上司編)セクハラ・パワハラ日常茶飯事の2代目社長。もちろん残業120時間も残業代ほぼなし。
新卒で入社した編集プロダクションでの待遇があまりにもひどく、転職をしました。
社員が10名以下の小さな会社かつ家族経営の2代目が社長という完全ワンマン経営でしたので、パワハラやセクハラが横行していても皆見て見ぬふりで誰も注意をすることもありませんでした。月に120時間越えの残業も正当な残業代が支給されるわけでもなく、限りなくサービス残業に違いものでした(月に3〜4万円が限度)。
先輩社員が残業している以上、新入社員が先に帰れるはずもなく、定時などあってないようなものでした。極め付けは、酔った社長が深夜0時過ぎに会社に来て、新入社員を集めて朝方の5時過ぎまで罵倒と人格否定を繰り返したエピソードです。
これに耐えかねて、自分の担当の業務に一区切りがついた段階で転職をしました。
(最悪な上司編)面倒ごとはすべて部下。加えて手柄は横取りの最悪上司。
50歳くらいの上司同士(男女)の仲がとても良く、2人の思い通りにしようという動きが部署の反感を買い、そのせいで雰囲気がとても悪くなりました。
部下にさせている仕事を自分がしたことにして報告書を作成したり、やりたくない仕事は人に任せて自分は楽な仕事を選んだり、人の仕事内容には「簡単でしょ、そのくらいできるでしょ」と文句ばかりでした。
役職がついている立場にも関わらず、繁忙期(毎日ほぼ終電)に1週間の家族旅行にでかけたり、人の仕事のやり方に文句を言う割には内容を理解できていないから質問にも答えられないので新人の私が教育係になっていました。それだけなら我慢できたのですが、二人のせいで私たちの部署だけが定時の17時に帰ることができず、毎日遅くまで残業をさせられていたのにも関わらず文句を言う本人は定時で帰宅していたり、私たちがさぼっていることにして仕事をしてないと嘘の報告をされていたことやパワハラ発言がある事実を知っても、上層部の人たちは何の対策もしてくれなかったことが決め手となり退職しました。
(最悪な上司編)ダメ出しするけど仕事ができず、最終的に手柄を独り占めする上司
今も前職場もサービス業です。以前働いていた会社では、1日の業務に対しての上司への報告をメールで行う会社でした。その日の売上の数字と業務内容を自分なりに分析をして報告をするのですが、報告後に部長から毎日ダメだしが入ってきます。自店は営業部でも全社的にも数字はかなり良い店舗だっただけに、何がダメなのかよくわからない状態でした。
詳しい指示もないまま毎日のようにダメだしを食らうので、それならば上司としての今後の行動の指示を求めました。部長より指示があった通りに営業をしてみましたが、2か月ほど数字が伸びることなく逆に下がってきてしまいました。部長自身の提案だからこそ文句も出ないだろうと思っていたら、今度は今のやり方が悪いから前のように営業したほうがいいと言い出しました。
あれほど毎日のようにダメだしをしておいて、数字が悪くなると今のやり方がいけないから戻せという、非常に勝手な話だと思いました。その後、我慢して以前のやり方に戻して数字も上がってくると、さも自身の手柄のように報告をする姿をみて、この上司にはついていけないと思い部署替えを要望しましたが、その上司によってそれも阻止されてしまいましたので、退職し別の会社で働こうと決心いたしました。
(最悪な上司編)いつまでも社長の椅子に居座り、認知症が発症してしまった80歳の社長。
仕事内容はとても好きで、ある会社の経理事務をしていました。その会社は家族経営の小さな会社でしたので、社長と息子と後は親戚の人など、7人の会社で4人が雇用されている人でした。
社長は昔ながらの考えで改革を嫌うタイプで、年齢が80歳近いのに息子に業務を引き継ぐ事をしなく自分が役職を失うの嫌なのか、社長を引き継ぎませんでした。その為、いい年齢をした息子も自分の思う通りに仕事が出来ない為、全体の仕事内容を把握していませんでした。
私が辞める前に、雇用されている社員たちは、経営も悪化する会社、なんとか手を打ちたくて、会社の為に社長に今の経営状況を伝えても、何も手を打つことをしない未来が見えない会社に10年後はきっとないであろう会社に見切りをつけて退職されていきました。
そのうち新しい社員が入社すると、新しいことを嫌う社長は年齢のせいもありますが認知症の症状が出てきて、朝と夕方を間違えて出社したりおかしな行動をし始めたので退職しざるおえませんでした。
(最悪な上司編)暇な時間にせっせと気に入らない部下をいびる上司。
私は小さな店舗で販売員として働いていました。総従業員数は50名ぐらいで、3店舗経営されている会社でした。私の配属先店舗の従業員は店長を含む5名の店舗で、女性が多く、4人のうち1名がマネージャーという立場で、新人に指導をする立場で働いていました。
そのマネージャーの方の指導に関してはいいのですが、非常に暇なお店だったため、仕事が常にあるわけではなく、その間、掃除や店舗の商品陳列を整えたりしても、時間が余ってしまいました。
そういったときを見計らって、自分の気に入らない部下をねちねちといびります。もう本当に理不尽な理由です。「私は、あなたのこと嫌いだから、やめてほしい」とまで言われました。そのマネージャーには人事権は全くありません。店には店番が常時2人しかいないのっで、そのマネージャーとふたりっきりの時は本当に地獄でした。ほかの従業員も同じ理由でいじめにあい、辞めていきました。上司もそのことを知っていたのに対応してくれなかったので、会社の姿勢がイヤになり転職しました。
ブラック企業の最怖な同僚編
(最怖な同僚編)女性が多い職場で、容姿やプライベートのことまで侮辱する最強な同僚たち。
以前いた職場が女性が多い職場で、とにかく派閥や悪口がすさまじく耐えられなかったので転職しました。
新卒で入社した会社で、世間知らずだった自分が悪いのですが、先輩や同僚から嫌われてしまいました。仕事でキツく当たられるのは当たり前ですが、容姿のことやプライベートなことまで侮辱され続けました。そういうやりとりを見て見ぬ振りする職場だったので、誰のことも信用できないのであれば辞めてしまいたいと思いました。
女性ならではなのか、その職場の雰囲気なのか、一度した失敗は絶対に許さないネチネチとした対応に終わりはこないような気がしました。仕事内容自体は非常に楽しく、文句はなかったのですが、人間関係でつまづくとどうしようもなかったです。
(最怖な同僚編)5人中、2人が社歴20年のお局様で、毎日集中攻撃をされる
以前いた職場に2人のお局様がいました。その方々は、その会社に20年程務めており、かなりのベテランでした。新人の私が、質問をしてもそんなことも知らないの?という感じで、いつも嫌味を言われながら仕事を教わっていました。事務系の仕事でしたが、同じ部署の従業員は5人しかおらず、そのうちの2人がお局様という最悪な状況でした。
私と同期の方も1人いましたが、その職場が嫌すぎて約1か月半で退職をしてしまいました。同期と一緒にいる時は、お局様からの嫌みも2等分することが出来ましたが、退職した後は1人集中攻撃を受けるような感じになり、分からないことを聞いても怒られるし、聞かなくても怒られるという感じになり、精神的にもかなりやられていたので、転職しようと決めました。
(最怖な同僚編)監視や陰口の絶えない職場で、通勤中も社則で合同に制限がある。
勤め先がいわゆるブラック企業でした。社則が大変厳しく、働いている時間以外の通勤時の通勤時の服装やオフィスの外のプライベートな時間での禁煙が全面禁止だったりしました。
タイムカードをいちど切ってからまた戻ってくるなどのサービス残業は当たり前で、毎日ほとんど睡眠時間がありませんでした。さらに女性ばかりの職場であったので、お互いの監視が厳しく裏で陰口を言われたり、 上司が部下にゴミ箱を丸洗いさせるなどのいじめに等しい行為も目に余りました。
社則が厳しいこともありましたが、それ以上に女性同士の人間関係が大変複雑で長く居続けることが難しい職場でした。お互い言葉遣いがきつくなってしまい、毎日のように怒鳴りあっていました。
(最怖な同僚編)助け合いは皆無。仕事を人に押し付けつつ手柄だけもらう同僚たち。
以前の職場を辞めたきっかけは2つあり、1つは業務量に納得がいかなかったからです。
具体的には平日は毎日23時帰宅でコンビニ弁当を食べて寝るだけという生活で精神的に参ってきている中、なんとか作業効率を上げるよう努力して、20時には退社するようにしていたところ、上司面談があり、土日出勤していないだけマシ、私が当時所属していたチームは私以外は全員土日出勤をしているのだから、もう1つプロジェクトを担当しろ、業務量を増やせという内容を言われました。
もう1つは人間関係で、チーム内で一緒に働いていた人たちはとにかく自分さえよければいいという人が多く、業務量が多すぎて仕事が片付かないと残業中に泣き始め、自分の業務を他人にやらせようとする人(後で別のチームの人から泣いたら、すぐ仕事を代わりにやってくれると言っていると教えてもらった)、他人にやってもらった業務も全部自分の手柄にして、評価面談でもっと評価を上げろと言う人(これも人づてに聞いた)、他人の都合はお構いなしに自分の用事を電話で頼んでくる地方の在宅勤務の人とチーム内の人に疲れて、転職を決意しました。
(最怖な同僚編)お局様に嫌われると終わりの職場。もう死んでも会いたくない。
以前の職場では、仕事ができない人間だと判断されると、相手が上司だろうが年上だろうが性別も関係なくお局様たちにいびられる職場でした。なので毎日誰かが怒鳴られていてそれを聞くのが苦痛だったし、次は私が怒鳴られるのではと思って「絶対ミスできない」と精神的にかなりのプレッシャーを感じていました。
ただでさえ仕事量が多くて残業が当たり前だったのでとても辛かったです。
それから、先輩にやることなすこと全て監視されて、いちいちチクられ、プライベートことも根掘り葉掘り聞かれてからかわれたりして最悪でした。そんな職場だったので若い女性の社員なんかはすぐに辞めてしまうし、アルバイトも入って一日で逃げ出してしまったりしていました。なのでお局様たちの辞めるなオーラも凄くてそれもまたプレッシャーでした。
私は耐えに耐えた結果なぜか気に入られ一年くらい頑張りましたが、気に入られるのも地獄で異常なストレスが溜まりに溜まった結果心身ともに参って病気になってしまい辞めました。あの職場の人達にはもう死んでも会いたくないです。
ブラック企業の笑える給与編
(笑える給与編)窓ガラスには光が外に漏れないよう板。残業代皆無で生活できなくなる。
わたしが勤めていた会社は残業代が出ませんでした。それにも関わらず、退勤時間後に会議を入れたり、日付が変わり夜中の2時や3時まで帰れないということがよくありました。
会社の窓ガラスには外に明かりが漏れないよう板が貼られており、法外な残業が日常的に行われているにもかかわらず、残業代が一切支払われることはありませんでした。基本給も決して高額ではなく、当時は地元を離れ一人暮らしをしておりましたので、とても生活できるような状態ではありませんでした。
周りの社員には家庭を持っている方も多く、話を聞くと奥様もパートで家計を支えているとのことで、夫の給料だけで生計をたてられる状況でないことを悩んでいる人が多かったです。小さな会社でしたので、社長と直接話すことも多かったのですが、「やりがいのある仕事だから、給料が安くても頑張れる」の一点張りで、全く改善が見られなかったので転職を決意しました。
(笑える給与編)責任も作業も何倍もある上司。でも給料は新卒の私と同じ。
私は介護の仕事を当時していました。新卒でその仕事に就き、最初はお給料もそれなりに貰えて納得していました。しかし、夜勤等で体がしんどいなぁと思い始めた時、偶然上司の給料明細をしてしまいました。
新卒より何倍も仕事や残業をこなし、時に夜勤勤務にも入り、責任も何倍もある人の給料明細でしたが、支払われている給料は当時の私とさほど変わりませんでした。
あんなにも働いているのにこの給料しか支払われないという現状に驚きと自分がこの先続けていっても昇給がほぼ見込めないと思ったことがきっかけとなり、転職を考えました。当時の貯金額を確認し、と持っていた資格を活かせる仕事の求人情報量を確認して、辞めても大丈夫だ!と思い、辞職しました。
いかがでしょうか。
今もブラックな職場で頑張っている人、世の中には様々な職場がありますので、一度転職を考えてみるといいともいます。